私たちに「完璧」と言うものはなんなのか。01 ー 完璧の誕生
はじめに、海外から来ましたので、少し文章力や、語彙力が足りないかもしれません。失礼します。
完璧の誕生
優越性
私たちが言う完璧という物は優越性と関係があるのか。
優越性とは、一つの分野で他人より優れた成績や能力を持つことを意味する。
地球上の動物なら、最初から競争性を持つようになる。
その理由は、動物は生存のためによりパワフルな子孫を残そうとするからだ。
知的動物である私たちはもっと力と知能が共に優れたものを望むようになった。
ここで完璧さというものが誕生したものと推定される。
劣等なものと優越なものという定義が人間によって分けられ、
何がもっと完璧なのかを考えるようになった。
ごく簡単な例として, ルーラーのある人とない人が直線を描くと考えてみよう
ルーラーなしで描いた者がくねくねと描き、
ルーラーを持った者はもっときれいな直線を描けると思う。
「この二つの中でもっと完璧なのは何だと思うのか。」と聞かれたら
当然、ほとんどの人が直線がよりきれいなものを完璧だと言うと思う。
計算的に見ればそうだ。
しかし、ここに背景説明を入れると、話が少し変わるかもしらない。
この線が、手が不自由な人が口にペンを挟んで描き、これは「努力の表現」と主張するなら
芸術的な視線としては完璧さでは手が不自由な人の作品を選ぶかもしれない。
このように、「完璧」に対する定義は
見る人、感じる人の視線と感覚によって変わることができる。
私もデザイナーとして何年も働いてきたが、デザインをしながら感じたことが一つある。
それは、自分の作品に絶対満足できないということだ。
誰かがそれが完成度の高い作品だと言っても、
私が満足できなければ、それは完璧なことではない。
歴史的な有名画家でさえ、自分の作品に100%満足する人はほとんどいないだろう.
再び論点に戻り、私たちがこの完璧性についてもっと掘り下げる必要がある理由は、
人間がこのような完璧さの執着のために万悪の根源である
「ストレス」というものが生まれたのではないか。
それなら、私たちはこのようなすべての根源を理解し、もう少し良い世の中を作るために努力しなければならないのではないか。
と思った。